片づけしているとついつい手が止まることが多い。
それは過去を旅しているからだ。
日常はあまりにも早くすぎていく
日常はあまりにも早くすぎていくのでいちいち気に留めることが少ない。
その過去を感じさせてくれるのが実体としてのモノである。
それが澱のように積み重なっていくと机周りや引き出しが乱雑になってくるの。
片づけているうちに自分でも忘れかけていた過去とふとした拍子に出会える。
新聞記事の切抜き
特に過去を強く感じさせてくれるのが新聞記事の切抜きだ。
新聞は発行日という明確な過去と結びついている。
また、切り抜いた内容が具体的な事件であったり、そのときの流行を感じさせるものであったり、かつての自分の興味を改めて実感することもできる。
片付けで見た新聞記事で自分が変わったことを知る
時の流れは面白いもので、その当時興味があった記事でも、現在改めて読み返してみるとそれほど魅力的でないものもある。
良くも悪くも自分は変わっていったんだということを痛感できる。
現在の科学技術では、いわゆるタイムマシーンは実現困難だ。
しかし、片づけというかなり卑近な出来事である種の時間旅行や過、去の自分との対話も実現可能だというのは面白い。